新米研究者の日常ブログ

新米研究者の雑記ブログ。某メーカーで研究者として勤務して早3年。研究者として経験したことをベースに、仕事や生活に役立つ知識・グッズの紹介、科学の雑学、日々感じることをひたすらに発信します!

物事の本質を見抜くとはどういうことか

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こんばんは、モルモル(@morumorublog)です。

 

最近は仕事が忙しく、COVID-19の影響で身の回りの環境変化もあり、なかなかに疲労しています。

 

当ブログでも、書きたいネタ・ジャンルはまだまだあるのですが、ある程度ちゃんとした記事を書くのもそれなりに労力は使うものです。

 

今はそれよりも、ただただアウトプット欲を満たして疲労感を紛らわしたい一心です。

 

ということで、先日より始めた「ただ語りたいだけ」の「その2」です。

 

今回は、最近よく感じる、"物事の本質を見抜くこと" について。

 

 

本質を見抜くとは?

現代では多くの情報で溢れています。

 

情報がたくさんあることは、選択肢が増え便利である一方、中には間違った情報であったり、裏に別の事実が隠されている場合もあります。

 

これを正しく見抜けないと、情報に振り回され、不幸な選択をとってしまうこともあります。

 

正しい情報を見抜く力は、"洞察力"ともいえるかもしれません。

 

洞察力とは、ある事実があったとして、目に見えている部分ではなく、その裏にある隠された本質を見抜く力です。

 

私の職業でもある研究においても、まさにこの力が必要です。

現象の裏にある本質を紐解くことが、一般的な研究の在り方だと思います。

 

昨今は特にそうですが、多くの人間に影響を与えるようなイベントが起きると、その分情報が錯綜します。

 

様々な情報発信の手段が発展した現代では、情報自体は減らしようがないので、情報の取り扱いは、ほぼ全て受け手に依存します。

 

その中でも、誤った情報や表層的な事実に振り回されないために、何が真実なのか、何が本質なのかを自分で見抜く力が必要だと感じます。

 

 

見抜いた本質が本当に本質なのかは最後までわからない

様々な情報の中から、洞察力をもってして、ある本質を見出したとしても、それが本当に正しい本質なのかはわからないと感じます。

 

研究であれば、事実に対して考え抜いた仮説(本質)が間違っている場合はあります。

世にありふれた誰もが疑わない(それが本質だと思われている)情報であっても、間違っている場合もあります。

 

ブログに関して言えば、「毎日書けばpvが伸びる、収益が上がる」といった一種の定説があると思います。

情報発信のツールにおいては、量よりも質であり、毎日書けばいいというものではないと私は思っていますが、この私なりに見抜いた本質が正しいかどうかはわかりません。

 

物事を洞察し、本質を見抜くことが重要なのは言うまでもないことですが、それが本当に正しい見解だったのかは、最後になってわかる、あるいは最後までわからないことが多々あるように感じます。

 

では、正しい本質を見抜くためにはどうすればいいんでしょうか?

 

自分が見抜いた本質に最大限の自信を持てるようにする

正直、自分でもよくわかりません。

 

ただ、(研究者性分かもしれませんが、)世の中に100%の物事なんてありえないと思うので、見抜いた本質が間違っていること自体をなくすのは不可能だと思います。

 

一方で、本質を間違って見抜くことを0にすることはできなくても、限りなく0に近づけることはできると思うのです。

 

つまり、見抜いた本質が正しいということを裏付ける(サポートする)情報を得ることで、自信をもつということです。

 

例えば、ある情報を目にしたとき、洞察して自分なりに本質を見抜きます。

 

その時点で、見出した本質に絶対的な自信があるのであれば、それで良いと思います。

 

そうでないのであれば、さらなる周辺情報を調べてみたり、自分が見抜いた本質を第三者に問いかけてみて客観的意見を得るなど、本質の正しさの確度を上げる手段はいくらでもあるように思います。

 

極論、自分が見抜いた本質に対してすら洞察し、本質を探求し続けることで、自分自信が最大限納得できる本質にたどり着いたらゴール、といったイメージを持っています。

 

それでもなお、その本質が正しいかどうかはわからないので、それならばせめて、自分が納得できる、後悔のないレベルまで本質を掘り下げるのが理想と感じます。

 

様々な情報に触れて処理するなかで、時には間違った選択・解釈をしてしまうこともあると思いますが、可能な限り避けたいものです。

 

間違った解釈を完全に0にすることはできませんが、自分が見抜いた本質の確度を上げることはできるので、そのための努力を怠らずに最大限自信を持つことが重要と感じます。

 

ここまで、抽象的な表現ばかりになってしまいましたが、あらゆる場面において適用できる考え方ではないかと私は思います。

 

研究はもちろんですが、妙にウマい話や、妙に画期的すぎる話など、一見すると都合の良い情報に触れたとき、正しい本質を見抜くためには洞察を繰り返す必要があります。

 

洞察の結果、それが間違っている場合もあるかもしれませんが、自分が納得できるレベルまで掘り下げた本質であったのならば、後悔も少ないのではないかと思います。

 

 

 

以上、「ただ語りたいだけ その2」でした。

普段の生活やCOVID-19に関連したことで感じる部分があったので書きなぐりました。

全体的にふわっとした表現ばかりですが、なにか伝わるものがあれば幸いです。

 

この調子だと、「その3」以降も量産される気しかしませんが、少しでも見てもらえたら嬉しいです。

 

それでは!

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