こんばんは、モルモル(@morumorublog)です。
研究者というブログタイトルにしておきながら、研究者 っぽいことをほとんど記事にしていなかったので、最近感じることを踏まえて、「大学と企業における研究の違い」について、少し深堀りして紹介します。
以前、「大学と企業における研究の違い」について概略を紹介しましたので、ご興味があれば御覧ください。
本記事では少し観点を絞り、研究者においてよくあるシチュエーションである "予想外の結果(実験や考え方など)が出た時の感情" について、メーカー勤務中の今現在と、学生時代では異なる部分があると感じているので、紹介します。
(ニッチな話題ですが、同じように感じる方がいるのかどうか、非常に気になります。もし共感等ございましたらブックマークやコメントのほどよろしくお願いします!)
予想外な結果が出るシチュエーションとは?
業界にもよりますが、研究職においては実験業務を行うことが多々あります。
実験を行ううえでは、基本的に以下のサイクルで試行錯誤を繰り返します。
① 課題に対して仮説を立てる
② 仮説に対する解決策(実験)を考える
③ 実験を行い結果を得る
④ 結果を踏まえ、仮説を検証する(①に戻る)
仮説通りの結果が運良く得られれば、課題解決ストーリーの手かがりを得ることができ、一歩進むことができます。
一方で、仮説通りの結果が得られない場合もあります。むしろ、こちらのパターンの方が多いようにも思います。
「仮説と反する結果が得られる」と聞くと、一見ネガティブに聞こえるかもしれません。
実際、期待する結果が得られず残念でした、で終わるパターンもありますが、予想外の結果の見方を変えると、考えもしなかった新しい観点、手かがりを得られることが極稀にあります。
研究は未知の領域を切り開いていく作業なので、予想外の結果が得られることは全く不思議ではなく、上記のように知的欲求を駆り立てられるような新しい知見を得られる可能性があるため、これこそが研究の醍醐味であると思います。
このように、研究においては自分が立てた仮説に反する結果が得られるということは往々にして起きることであり、新たな知見を得るチャンスでもあります。
予想外な結果が出た時の感情
ここからは、予想外の結果が出た時の感情について、私の経験を踏まえて「大学」「企業」のそれぞれについて簡単に紹介します。
大学:知的好奇心が湧く、楽しい(ポジティブ感情)
私は大学時代、とある分野で約3年半くらい研究室生活を過ごしました。
与えられたテーマは非常にニッチな分野であり、蓄積された知見もほとんどなかったため、自分で仮説を立て実験する作業をひたすらに繰り返していました。
3年半かけて多くの実験データを得ましたが、研究課題に対する明確なストーリーを提示することができず、最終成果としてはかなりお粗末なものとなってしまいました。
理由としては、自分の仮説に反する予想外の結果ばかりでてしまい、考察の収拾がつかなかったことが挙げられます。
一方で、予想外の結果が得られたときは、
"マジか、なんで?!"
"もしかしたら面白い結果かもしれない"
"この結果を早く誰かと共有したい"
といったポジティブな感情をもつ機会が多かったことをはっきりと覚えています。
全体の成果としては粗末なものとなり反省点は多かったのですが、上記のような研究の楽しさを知る機会としては恵まれていたのではないかと今では思います。
結果的に、アカデミアの道ではなく民間企業に就職しましたが、研究という分野から離れなかったのはこの経験が大きかったと思います。
企業:不安感、嫌悪感(ネガティブ感情)
そんなこんなで企業においても研究職として、研究に関わることとなりました。
業務内容にもちろん実験はあり、基本的な進め方は「仮説⇒実行⇒考察」のサイクルで変わることはありません。
加えて、対行政、対民間、対学会など業界全体の基準作り、それに則った評価などレギュレーション関連の業務も生じます。
(参考:レギュラトリーサイエンスとは)
入社から時間も経ち、学生時代と同じように予想外の結果が得られることはあるのですが、その時の感情は打って変わってしまいました。
"なんでこんな結果でちゃうんだ"
"どう考察しようかとても悩むなぁ"
"もう勘弁してくれ"
学生時代は研究を純粋に楽しめていたように思うのですが、企業になった途端、予想外な結果が得られるとネガティブ感情が湧くようになってしまいました。
理由は明確に自覚しており、「スケジュール感の有無」に限ると思います。
学生時代は、特に外部と共同していたわけでもなく、基本的に自分のペースで研究を勧めていました。
大げさに言えば、卒業時にデータが有れば、進め方はなんでもありといった具合です。
一方で、企業においては、どの課題に対しても必ず「期日」が存在します。
単純な提出物だけでなく、"○月○日までに✕✕という知見を示唆するデータを取得すること"、といったように実験ありきの課題に対しても期限が生じます。
このような期限設定が積み上げられて、テーマ全体のスケジュールが構築されているわけです。
この期限付きの実験業務において、予想外な結果が得られたとき、知的好奇心よりも前に「スケジュールへの影響」がどうしても頭に浮かんでしまうのです。
これは企業という性質上仕方のないことではあると思いますが、スケジュールありきの研究というものに嫌気が差してしまうタイミングは正直あります。
私の部署は、いわゆる基礎・探索研究のような新しい知見を積極的に期待するような部署ではなく、レギュレーションに則り物質・製品を評価する部署であるため、予想外な結果の取り扱い方がそもそも異なるという点はあるのかもしれません。
それでも、研究は研究であり、本来の楽しさ・醍醐味である「知的好奇心」が後回しになってしまっている自分に、本当にこれで良いのだろうかと疑問を感じている次第です。
立場によらず知的好奇心は持ち続けるべき
企業という組織に身を置いている以上、企業利益を優先することがマストであり、それに付随するスケジュールに従うことはとても重要なことです。
そのうえでは、予想外な結果が得られた際にまず考えなければいけないことは、その結果をどのように処理すれば最小限のリソースで対処することができるか(スケジュールに乗せられるか)、だと思います。
それがたまたま、自分の知的好奇心と合致する方向性のものであれば良いのですが、なかなかそうはいきません。
だからといって、知的好奇心を失ってしまっては、研究者として本領を失ってしまう気がします。
ですので、"企業の" 研究者としての使命は果たしつつも、"本来の" 研究者としての知的好奇心は持ち続けるべきだと感じています。
第一歩としては、自分が面白いと感じた考えを、企業利益につながりそうな文言と上手いこと結びつけて、誰かに提案することに思います。
このような提案をこれまで全くしてこなかったわけではないですが、より多くの提案をすることで、「スケジュール重視」と「知的好奇心」の両側面を満たせる研究ができるのではないかと妄想しています。
以上、大学と企業の研究の違いの1つとして、予想外な結果が得られた時の感情を起点として、少し深堀りしてみました。
同じ研究であっても、色々な見え方があるものだと最近特に感じます。
そういう意味では、1つの部署に留まるのではなく、性質の異なる複数部署を経験したり、場合によってはアカデミアに戻るような経験を積めば、オンリーワンな人材になれるかもしれないなと思います。
現状にはいろいろ不満はありますが、学生では味わない経験ができているという意味では大満足なので、今後もほどほどに頑張ります。
ニッチな話題、かつ長々と自分語りで失礼しました!!
それでは!